ティーダな出会い 第13回 - 村井優紀さん (後編) [沖縄アクターズスクール・エグゼクティブプロデューサー]
マキノ校長の指導
悩み続ける日々を超えて
Q.村井さんの校長就任は、若いアメリカ出身、バイリンガルの女性というので話題性があり、新聞記事で読んだのを覚えています。華やかな出発でしたが・・?
校長になってからもそれまでと同じように、『優紀さん、聞いて』と生徒たちは毎日毎日相談に来ます。そんな日は夜になっても、どう解決したらいいのか、どう答えたらいいのかと一人で悶々と考えていたりしました。
最初は「私、今日から校長です!」って冗談のように笑っていました。マキノも、生徒たちの前で泣いて笑って謝ってという今までの優紀の姿を見せればいいのだと言いましたが、2年3年たつうちに、私自身が『校長』と構えてしまったのですね。
生徒に信頼されないといけない、なめられてもいけない、怖がられてもいけない・・。校長だから「いい人」にならないといけない、そういう重荷がありました。とても辛い時期でした。
今考えると、私は自分のこと、つまり校長としての私のことしか考えていなかった。生徒たちのことは全然考えていなかったのです。自分が何とか上に上がることだけ考えていた。
そういう意味でアメリカ人。マキノは私のロスで築き上げたプライドやら価値観をすべて崩そうとしたのです。
とはいっても毎日、何をしてもマキノに怒鳴られる。みんなの前で恥かかされる、泣かされる。私もその頃はただ気が強く、黙って怒鳴られているだけではなく、自分が正しいと思えば本気でマキノに食って掛かっていき、必死に戦っていました。後で聞くと、マキノはそんな私を面白がっていたようです。
しかし学校が大変な状態だったのも本当だった。『あの時は学校を守るためはお前にかけるしかなかったのだ』とマキノは言いますが、その意味も分かっていなかった。生徒達が傷ついている『ドリームプラネットインターナショナル』、踊っているだけで将来に悩み始めた生徒達がいる『沖縄アクターズスクール』。
マキノにはスクールを建て直すためのビジョンがあり、私はそれを具現化して行く役目として、マキノに期待をかけられていたことは今になり初めて分かります。
初めてのオリジナルミュージカルS.T.A.R大成功
マキノは25年間、沖縄アクターズスクールのオリジナルミュージカルを書ける人間を待ち続けていました。
出会って数年経った頃、ミュージカルのレッスンで生徒全員と毎日盛り上がっていた私に、マキノは、ミュージカルを書いてみれば?と言い始めました。書ける、という根拠はどこにもないのですが、『お前の感性ならできる』と。そうは言われても、ロスで素晴らしすぎる作品を見て育った私に「自分にも出来る」なんて思えるはずもなく、マキノの言葉を一切真剣に受け止めませんでした。書くこと自体は好きでしたが、本格的にものを書いたこともなく、手を付けるつもりもありませんでした。
それが今から3年前の12月、例のミュージカルの授業中に生徒たちに、「オリジナルをやらない?私、書くから!」と言ってしまったんです。年度末の卒業イベントとして、毎年「RENT」や「WICKED」などのブロードウェイ・ミュージカルのミニ公演を行っていたのですが、今年は「これだ!」と思うミュージカルがない。なら、書いてしまおうと。弾みとはいっても、卒業式は3月。ということは、舞台も3月、大変です。
ぎりぎり書き上げ、必死で稽古を間に合わせ、3月に(長さだけはブロードウェイ並みの)3時間のステージを嘉手納文化センターで行うことができました。観客は満員。脚本だけでなく、演出も他にいなかったので知識もなく、勘だけで進めました。それが『S.T.A.R.』です。マキノに初めて台本を見せたとき、『25年間待っていたオリジナルの本だ』と涙を流してくれました。
こうして私自身、自分で気がつかなかったものを、マキノによってまたひとつ引き出されていたのです。
テレビドラマ「Live City」が誕生! 裏方もキャストも全員生徒という奇跡
それからしばらくは、台本を書く演出家と校長の二足のわらじでしたが、この期間もひたすら悩んでいました。作品は「いい人」では作れなく、キレイごとを書いている場合ではない。人間の本質をついていき、表現しなくては、良い作品は生まれない。となると、当たり前に「ねたみ」や「嫉妬」など人間が持つ複雑な感情を掘り下げて書いたりします。一方校長は、生徒全員を愛するいい人でないといけない。もし校長の優紀のまま作品を作ると、「みんな楽しく、みんな仲良い」学芸会レベルのものしか作れないわけです。
たくさんの方々にお見せする作品作りは、中途半端な気持ちでは出来ない。シロウトでも何でも「世に出す」となると責任も感じ、突然真剣な作品作りを始め、数日脚本を書くため籠ったり、演出にこだわり抜く私を見て、生徒たちはひっくり返りました。今まで彼らが見たこともないあまりに厳しい優紀がいたのです。ひとつのことを目指す、徹底してこだわる人間に変わってしまったのですね。
校長とアーティストに自分自身が分裂し、わけがわからなくなっていた私を見て、マキノは『おまえは校長に向いてないな!』と宣言してくれました。『そうですよねえ!』と明るくクビになった私は、お陰で現在のプロデューサーに専念できることになるのです。
カメラの付け方もわからず撮影開始!
「S.T.A.R.」は好評で、数ヶ月後にアンコール公演をしました。マキノはその公演を見て、今度は『これをテレビドラマにしよう』と。
しかし、私も生徒たちもドラマの制作に携わったこともない。「ド素人の集団」がプロの手を借りず、脚本を書いて撮影して編集し、毎週テレビ局に納品するという仕事を始めました。マキノだけが最初から、このドラマの成功を信じていたようです。
そうはいってもカメラの付け方も知らない。私はなんとか脚本を書いて、マキノに相談しながらキャストを決めました。映画の撮影をするためには、どのような仕事が必要なのか、その仕事がなんと呼ばれる職種なのかさえ、私を含めて生徒の誰も知らなかったのです。すべてカンでした。「撮影には照明がいるよねえ」「衣装を決める役も必要」「記録もとっておかなくては」と思いつく仕事を並べあげ、それに興味を持つ生徒たちをそこに配置。それが「照明」「音声」「記録」「デスク」などなど製作に必要なスタッフつまり「クルー」であることがわかったのは、少し後になってからでした。
監督の私自身も訓練を受けたことがないため、何でも直感で進めていました。カメラアングル、照明の当て方、演技、メイク・・・・毎日のようにマキノにアドバイスをもらいに行くのですが、いつもマキノは「優紀の直感でいけ」とだけ。
失敗を繰り返し、毎週ひやひやするようなハプニングが連続して、それでもなんとか納品をすることができる本当に綱渡りでしたが、続けるうちに徐々に沖縄でも評判になってきたのです。
 Live City(ドラマ)の1シーン
生徒たちも必死でした。私が専門的な指示が出来ないため、それぞれ担当分野を各自で勉強し、現場で覚えて行きました。
その吸収力というのがまた、すごかったです。やる気があればプロでなくてもここまでできるのだと、生徒達の学ぶ力を目の当たりにし、彼らのチームワークには今でも驚かされます。
そしてこの番組の制作をすることで、「ダンス」「歌」だけの『沖縄アクターズスクール』が、総合的なエンターテイメント制作ができる『沖縄アクターズスクール』に成長したといえます。
2007年4月、出来上がった第一シーズン目の第一話を見たときマキノは、「やった。」と目に涙をためて喜んでくれました。
エンターテイメントのプロを育てる
新しい沖縄アクターズスクールの方向
最初、私の中から出て来たストーリーは、「LIVE CITY」という架空の街で将来が見えていない若者たちの恋や挫折や友情をテーマとした青春ドラマでした。
そこにマキノのアドバイスで、ハリウッドで成功している若き女性プロデューサー「クリスティン」が登場。若者たちはクリスティンによって目的意識を持ち、世界の舞台で活躍するエンターテナーに成長していくというサクセスストーリーになりました。
 (クリスティン役を演じる村井優紀さん)
「このドラマには大人が必要だ」と言ったマキノは私に、『クリスティン役で出なさい』と言うのです。マキノは「半年間お願いし続けた」と言いますが、私が覚えているのは「出ろ」というニュアンスです(笑)。私は脚本家で監督だから画面に出るものではないと思っていましたから、断りました。しかもハリウッドで成功したプロデューサーなんてイメージ出来ない・・・。
でも実はこの頃、私はまた行き詰っていました。本気でアメリカに帰る準備までしていたのです。
一年間『Live City』という番組を続け、周りからは徐々に評価してもらっていたのですが、どうしても達成感が湧いて来ない。どこかで自分でやったのではないという自信喪失、気持ちの上でとても不安な状態だったのです。
ただエンターテイメントの世界は好きだったので、アメリカに帰って大学院に入ってきちんと勉強し直し、アメリカで一から仕事をしようと思った。本当にアパートを引き払う準備までしていました。
最後の仕事として、それまでの感謝の気持ちをこめてマキノのドキュメンタリーを撮ったのです。そのとき、初めて私はマキノを見始め、本当に向き合いました。
沖縄を離れるつもりだったから、私自身もすごく素直な気持ちでマキノの話を聞くことが出来た。それまで何度聞いても素直になれなかったマキノのビジョンやアクターズとドリプラの方向性を改めて聞き、マキノの葛藤の道を追うドキュメンタリーを作ったその一ヶ月で、それまで悩まされていた(そしてマキノを悩ませていた)反発心が消え、「アクターズスクールがやってることはやはりスゴイ。マキノの強烈な言葉の奥にある考えは、本物だ」と、ようやく光が見えて来た気がしました。
自分に自信がないため全てを否定し、結局自分にも周りにも迷惑をかけている。こんなに愛情を持ち、能力を認めてくれる人と場所に出会っているのだ、と。
「才能」という一時間ドキュメンタリーに仕上がり、それを見たマキノは言葉を失っていました。
そして私は、自信がなくても何でもとにかく、クリスティンとして出演する決心をしたのです。それによっても、監督としての視点しかなかった私の目が、また変わり、広がりました。
生徒たちと一緒に壮大な夢 エンターテイメント・リゾートを沖縄に
昨年12月、沖縄アクターズスクールのステージ「A-LIVE」が読谷村で開催されました。鳳ホールが満席という人気、中でも外国人家族連れが多かったですね。このステージ第二部では村井さんが演出するミュージカルも公演されます。これからの沖縄アクターズスクールを暗示しているように思いましたが。
『Live City』を見た、というハーフ、クォーターの子達が最近アクターズスクールのレッスンを受けたいと来るにようになりました。ここには子供の居場所があると、親たちが連れて来るのだと思います。厳しくも愛情のある教育をしている場所、だと。もちろん、踊りたい、歌いたいという子供たちの思いがあってです。
私がアメリカにいたときもそうでしたが、ハーフであったり外国人であったりすると、自分のアイデンティティーに葛藤があり矛盾を感じることが多いと思います。
沖縄アクターズスクールは今、アジア人、アメリカ人、ヨーロッパ人、ハーフ、クォーターと、本当に生徒たちはインターナショナルです。
政治ではなくエンターテイメントを通して、アメリカと日本がわかり合える場所でありチャンス機?に、沖縄アクターズスクールが成りつつあるようです。
テレビ番組の制作を通して、アクターズスクールでは「感性」というテーマを大切に、カメラ、照明、歌詞、衣装、ヘアメイク、あらゆる分野を学ぶことができます。舞台に立つ人間も、舞台を動かすスタッフも、ここからもっと誕生していきます。10代の若者が番組を制作しているということが、沖縄中の若者たちに伝わり、何かの力に変われば嬉しいですね。
現在制作に関わっている生徒たちは、次の世代をリードできる人材として成長し続けると思います。
そうして次々と能力を身につけた生徒たちにとって、本来持つ能力を発揮できる場として、マキノが次に考えるのは「ミニ・ハリウッドスタイルのエンターテインメント・リゾート」なのです。
このエンターテイメント・リゾートには、観光客の誰もが何度でも訪れたくなるような、随時ミュージカルが行われている劇場があり、また沖縄の景色で映画が撮れるような映画制作会社や撮影所、アニメーションスタジオやいろいろなスタジオ。もちろん才能あるアーチストのマネージメント会社も必要ですし、それに付随してファッションメーカーやリゾートホテル、飲食店・・・。素晴らしいと思いませんか。
このリゾートを維持するためにはエンターテイメント以外にもさまざまな種類の能力、才能、人材が必要なのです。雇用の促進にもなります。
沖縄の子達のレベルの高さを見ていると、このエンターテイメント・リゾートは決して夢物語ではないと思います。本当の才能が生かされ、世の中に広がって、そして人々にいっぱい夢を与えて幸せにしていく・・・、これが「沖縄アクターズスクール」が目指すゴールです。
例えば、米軍基地の返還にともないエンターテイメント・リゾートが誕生し、その後徐々にどのくらいの将来か分かりませんが、沖縄が島ごとエンターテイメント・リゾートアイランドとして生まれ変わる日が来る事を想像してみて下さい。沖縄アクターズスクールがこの先、どういう発展をしていくか、私自身とても楽しみです。ご期待下さい。
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★ 村井優紀 プロフィール
(株)沖縄アクターズスクール
取締役 / エグゼクティブ・プロデューサー
「LIVE CITY」
原作/脚本/演出/選曲/ナレーション /字幕/ ”KRISTIN”役
1976年東京生まれ。4歳よりロサンゼルスで過ごす。カリフォルニア大学政治学部卒業。 2001年に来沖し、マキノ正幸の「ドリームプラネットインターナショナルスクール」のインストラクターとなる。2005年には校長に就任。傍らでブロードウェイ・スタイルのミュージカルを書き、沖縄アクターズスクールとドリームプラネットの生徒達と共に、沖縄の大劇場を満席にし、大変な話題を呼ぶ。マキノ氏の肝いりでプロデューサーとしての才能を発揮し、原作/脚本/演出の作品を生徒たちとの自主制作でテレビ番組を制作。QABで毎週放送し,現在の「LIVE CITY」となる。マキノ氏が能力を見出したプロデューサー村井優紀氏は、生徒の制作スタッフを率い2007年からテレビドラマを作り続け、2年間でこれまで60作品余りものドラマをオンエアーして来た実績を持つ。そして、今年は劇場ミュージカルを数多くプロデュースする予定。
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「沖縄県が支援を表明」
平成21年1月23日 経済産業省の「2008年度地域資源活用型新規産業創造事業」に内定したと発表。
詳しくは琉球新報記事をご覧ください。
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